きっかけ
子供の頃から住み慣れた田畑の多い土地でしたが、社会人になり東京で暮らしていました。
そして子供が生まれたきっかけで地元に戻ってきました。 いつものように子供と外で遊んでいたときにふとあたりを見回した時、緑の多さを実感したのですが違和感を同時に感じたのです。
このご時世で緑が多い?前より増えている? 無農薬の時代だから? (昔は農薬の普及で当たり前のように散布していました)環境の変化?温暖化? ・・・ しばらくして気づきました。
高齢化により、前より田畑のメンテナンスが行き届いていないのだ 。 遠くに見える緑は大きく成長し、もはや個人の伐採レベルを超えた木々、畑とあぜ道の境界もわからないほど生い茂った雑草。 親が以前に言っていた「この時代に土地があっても大変なだけだ。 体がそこまで動けないので、荒れた田畑は雑草が生い茂げる。火災や犯罪、藪蚊の温床となるので近所の目もあり草刈りだけはやらなければいけない。」 その時は聞き流していた言葉だったが、その状況を目の当りにして初めて受け入れることができた。
その時はそこまで気づいたものの、為すすべもなかったので思考は止まった。 しかし、昔から少子高齢化の流れは子供の小学校の運動会などで有り余ったグラウンドの広さで知ることができたし、地元の会合での家主の集まりで顔ぶれだけ変わらず毎年歳を重ねていく状況を見てきたので頭の片隅でいつも気になってはいた。 そして太陽光発電との出会いで新しい解が見つかった。
このご時世ゆえ、土地は売れず保有するしかなかったこの土地を。草刈の手間だけかかり、価値も生まなかったこの土地を。
価値を生む土地に変えよう! 土地を持っていた事に感謝できるように。 わずかでも収入が入ればおじいちゃん、おばあちゃんは孫におこずかいをあげられるし、楽しい旅行もできるようになる!
当時は「野立て」という言葉すらもわからなかったが、このとき太陽光発電の可能性を感じた出会い。「はじまり」だった